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こんばんは。
久しぶりの更新となりました。
番外編の前は、パスワードを解除したところで終わりましたが、
今回は暁におさめられていた情報を全て見終わったところから始まりました。
書き方が分かりづらく、申し訳ございませんでした。
今回のお話は、とても静かです。
音が無くとも響くものが、この世界には沢山あると思います。
そのひとつが、時こ越える2つの意志でした。
今回はwork musicがあります。
槇原敬之の『光~あなたを忘れない~』です。
この曲は、この物語全体のイメージソングでもあります。
(本当に恥ずかしい話ですが)新宿のHMVで視聴して、泣いてしまった曲です。
歌詞(goo)↓
http://music.goo.ne.jp/lyric/LYRUTND74128/index.html
今回の台詞はやはり、これです。
『生きなさい。』(BYウズミ)
とても厳しい言葉だと思います。
この言葉は、
宿命を前にした彼等に重く響いたことと思います。
ウズミは自らの命を燃やしたからこそ、
別の響きも持ったことでしょう。
毎回、ウズミの言葉を前に、幼い子どものように泣くカガリですが、
今回は静かに涙を落とします。
(やはり傍にアスラン。なんだかんだいちゃいちゃしてますね。)
ちょっと大人なカガリとアスランです。
そして、相変わらずキラとラクスはいちゃいちゃしてますね。
さてさて、ようやくユーレンとヴィアが登場いたしました。
本編ではユーレンの暴走に嘆くヴィアが描かれていたと思いますが、
筆者はそんなヴィアが泣いて終わったとは思えませんでした。
だって、キラとカガリの母親ですから。
(↑何故か、凄い説得力ある言葉だと思います(笑。)
恐らく、夫の過ちを但し、世界を破滅させるほどの研究成果を潰すため、
手を打ったのではないか、と。
ユーレンの研究成果を粒さに記録した研究日誌(全て事実)を元に
研究日誌に虚偽を盛り込んだもの(捏造された事実)をつくり、
ユーレンの研究成果を論破する研究論文を用意していたとの設定にしました。
万が一、ユーレンがフリーダム・トレイルの完成を世に宣言しても、
それを足元から覆し、世界と命を護ろうとしたのではないか、と。
その内容については、今後物語の中で触れていく予定です。
次回、あの食べ物が登場です!!
今回は賑やかな展開となりました。
今回一番の台詞はこれだと思います。
――“意外と”は余計だし、
何も“悪く”ないっ!! (BYアスラン)
『むしろ・・・』なんて考えてませんか、アスランさん(笑。
今回のお話の中でカガリが、“(身体の)サイズはラクスと一緒だぞ”と呟いていますが、
そうだったら楽しそうだなぁと思います。
だって、ラクスがカガリのための服を選びやすくなるから(笑。
ラクスは人を喜ばせることが大好きだと思いますし、
お友達と一緒におしゃれを楽しみたいという年頃の乙女らしい想いも抱いていると思います。
で、お友達のカガリは自分の魅力に何処までも鈍いときたら、
そりゃ、ラクスの魂が疼きますよ。
「わたくしが、カガリを極上のモテ子さんにしてみせますわ~!!」
(↑ここ数年、小学生に流行しているらしい、めちゃモテ委員○みたいな)
なんて冗談ですが、
それでも、カガリがプライベートの時間を投げ打って政務に明け暮れていることを知ったら、
ラクスなら気をきかせたステキな服をプレゼントしそうです。
カガリが恥ずかしがっても頑張って着ることが出来る、微妙なラインをついて。
そんな事をさりげなく出来てしまうでしょう、ラクスなら。
そして、何処かでこう願っているのではないでしょうか。
“ 年頃の女の子であれば誰でも抱く当たり前の感情を、忘れないでくださいな。 ”
さて、そのラクスが今回最後に登場しました。
本当は登場させるつもりは無かったのですが、
後で彼等に怨まれそうで(笑。
何を真実と信じるのか、その行為は自分ひとりで行わなければならないものですが、
それでも真実の傍には大切な人がいてほしいと思う。
それは自然な感情だから、叶えたくなってしまいました。
そのため、全責任を産休中のマリューに負わせて(笑
ラクスを登場させました。
こんな風に多少のリスクを負ってでも、
相手のために気遣いできる大人になりたいものです。
こんにちは。
ラクスの清らかさは、生得的なものではなく、
清らかであり続ける強さを、ラクス自身が持っているからだと、
筆者は思います。
とても美しいと思います。
筆者は、ラクスはアスランとの間でしか
子どもを授かることはできない
との設定にいたしました。
この設定の上で、ラクスははたして子どもを望むでしょうか?
筆者は、ラクスであれば自分の身体の限界を受け止め
キラとの間に子どもを授からなければ
それ以上を望まないのではないかと考えます。
今回のお話の中で、ラクスは次のように言っています。
『わたくしの一番の幸せは、
キラと共にあることですわ。
それが、わたくしの全てなのです。』
心から、そう言い切るのではないかと
筆者は思います。
ラクスは本当に強い女性です。
筆者の物語の中では
プラント国民は運命を委ねるように
ラクスを妄信しています。
しかし、ラクスはその強さ故に
他者と共感できない場面が多いのではないでしょうか。
例えば、先程のラクスの台詞をプラントの女性が聴いたら
ラクスに部分的には共感できても
“同じ”にはなれないでしょう。
「ラクス様のおっしゃることは分かります。
でも、それはラクス様がお強いから言えるのでしょう。
私は、子どもを諦めることは、どうしても出来ない。」
その様に、思うのではないでしょうか。
だから、デスティニープランはプラント国民に支持されたのではないでしょうか。
プラント国民は未来が閉ざされていく閉塞感と焦燥感に苦しみ、
何ものにも縛られない自由を差し出すかわりに
未来を得ようとしたのではないでしょうか。
その切実なプラント国民の想いに
ラクスは、哀しみは抱いても
共感はできないでしょう。
何故なら、
『わたくしの一番の幸せは、
キラと共にあることですわ。
それが、わたくしの全てなのです。』
そう、心から言いきれるからです。
ラクスはデスティニープランを武力で否定しました。
(対話するために奔走したカガリとは正反対の方法になったことは
ラクスにとって不本意だったでしょうが。)
しかし、武力でおさめられることは戦争だけであり
プラント国民の思想までを破壊し再生することは出来ません。
それは歴史が物語るとおりです。
そのため、筆者の物語の中では、
デスティニープランに縋ったプラント国民は
今度はラクスに縋っています。
ラクスの本当の戦いは、
プラントの最高権力者に就任してからだと
筆者は思います。
DUNDAM SEED DESTINYのスペシャルエディッションの最後に描かれた
ラクスとカガリがそれぞれ議場へ向かうシーン。
ラクスが歩いた道には
まるで彼女の全てを受け入れるように
理路整然と並んだ官僚(でしょうか?)が頭を下げていました。
一方、カガリが歩いた道は
様々な人々が入り混じり意見が飛び交いそうな雰囲気がありました。
一見、ラクスはカリスマ性と類まれな政治力により
政界に受け入れられたように、
カガリは政治的に未成熟ゆえにまとめきれていない、
そのように見えるかもしれません。
しかし、ひねくれ者の筆者には、
ラクスを迎える様子に、プラント国民の妄信を感じ、
大変皮肉に感じました。
一方カガリの方こそ、政界に受け入れられているように感じました。
何故なら、世界とは
沢山の人の手で
沢山の対話を重ねて
創りあげていくものだと思うからです。
その創り上げる行為こそ、政治であると思うからです。
たった一人の救世主が舞い降りて、
平和が実現するのならば、
人がすべきことは
唯一つ。
待つことだけになってしまう。
そんな筈は無い、絶対に。
以上のような、大変ひねくれた考えを持つ筆者は、
この物語の中でラクスに課題を科しています。
それでも強く生き抜く姿にこそ、
ラクスの魅力があるのだと思いますから。
こんにちは。
今更でございますが、
筆者の物語は、捏造・創作・妄想てんこもりでお届けしております。
筆者の描く物語には、筆者の生み出したオリジナルキャラクターや
捏造された設定などが沢山ございます。
そのため、本編の設定を大切にされている方には
気分を害された方がいらっしゃるかもしれません。
この場を借りて、お詫び申し上げます。
そして、重ねてお願い申し上げます。
万が一、気分を害した場合は
「寛大なお心を持ってスルー」してくださいますよう
お願いいたします。
さて、今回も恒例の筆者のヒトリゴトですが・・・
ムゥとマリューは、GUNDAM SEEDで数少ない「ステキな大人」だと
思います。
情に篤く、厳しさを知る優しさを持つ、
本当にステキなキャラクターだと思います。
中でも、筆者が特に魅力を感じるのは、
彼等の夢の描き方です。
彼等が歩んできた時は、激動の時代です。
思い起こすだけで痛みを覚えるような過去を経て、
亡くした人たちの魂を抱き
生きてきた筈です。
あまりに厳しい現実を、戦火の戦火の火傷を負いながら駆け抜けた、
それでもムゥとマリューによって描かれる夢は、
時の深さと、人間が持つ強さを感じます。
GUNDAM SEEDは、他のDUNDAM作品に比して
(と言っても、筆者はファースト、Z、∀しか視聴していませんが・・・)
圧倒的に魅力的な大人が少なすぎる気がします。
そのため、大人が果たすべき責任の描かれ方がぼやけてしまった気がします。
(そんな見方してる筆者は、少数派かもしれませんが・・・)
ですから、筆者の物語の中では、
ムゥとマリュー、エリカ、キサカなど本編から活躍しているキャラクターに加え、
筆者のオリジナルキャラクターであるコル爺やラクスの秘書官のニコライ、
そしてマキャベリに(って、皆さん、覚えていますかっ???)
責任を問うていくつもりです。
筆者自身も、「大人」と言われる年齢です。
だからこそ、丁寧に描けたらと思いますし、
読んでくださる皆様と一緒に考えていければと思います。
私たちが引き受け、継ぎ果たしていく、
戦争責任とは何でしょうか。
そして今、私たちが世界に負う責任とは
何でしょうか。
こんにちは。
なんだかんだ言って、アスランとカガリがいちゃいちゃしてます(笑。
さて、以下は恒例の筆者のヒトリゴトです。
今回のお話では、1つだけ押さえておきたいことがございました。
それは、フリーダム・トレイルがもたらすのは闇だけではないことです。
命とは何かを問い、
その尊さを確かめ、
生きる意味と愛する喜びを抱く、
きっと彼等なら闇の先にそれを見るのではないかと思います。
だから、カガリは「命を護る」という重く果ての無い使命に誇りを感じ、
アスランは「護りたい人がいること」、「それが増えていくこと」に
幸せを見出しています。
実は、彼等の身近な場所で、生命の誕生という奇跡を起こすために
マリューが妊娠しているという設定にしました。
(他にも意図があるのですが・・・今後執筆予定です・・・。
ちゃんと書けるかしら・・・。)
GUNDAM SEEDは戦争と人種を軸に描かれている点が強調されますが、
(DEDTINYは戦争も人種も、テキトーに描かれていた点があると
筆者は思っております。
あくまでSEEDの方ということで、ご理解ください。)
戦争と人種の軸に、メンデルという視座で“生命”という軸を加えると
より広がりが出てきます。
この3つの軸で物語を展開させれば、ひとつの未来を示唆できるのではないか、
それが、筆者がこの物語を書こうと思った動機のひとつです。
そしてもちろん、アスランとカガリの幸せな未来を願い、
キラとラクスが本当の使命と向き合い、
シンが過去を受け止め未来を駆ける、
そんな姿を見てみたいということも、大きな動機のひとつです。
(あぁ、全部DESTINYで描かれなかったものばかり・・・。)
皆様ご存知の通り、筆者の力量は微々たる微々たる微々たるものです。
どこまで描けるのかわかりませんが、
少しずつ、彼等の未来を綴っていきたいと思います。