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soranokizunaのカケラたちや筆者のひとりごとを さらさらと ゆらゆらと
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こんにちは。

 

ラクスの清らかさは、生得的なものではなく、

清らかであり続ける強さを、ラクス自身が持っているからだと、

筆者は思います。

とても美しいと思います。

 

筆者は、ラクスはアスランとの間でしか

子どもを授かることはできない

との設定にいたしました。

この設定の上で、ラクスははたして子どもを望むでしょうか?

 

筆者は、ラクスであれば自分の身体の限界を受け止め

キラとの間に子どもを授からなければ

それ以上を望まないのではないかと考えます。

今回のお話の中で、ラクスは次のように言っています。

 

『わたくしの一番の幸せは、

キラと共にあることですわ。

それが、わたくしの全てなのです。』

 

心から、そう言い切るのではないかと

筆者は思います。

ラクスは本当に強い女性です。

 

 

 

筆者の物語の中では

プラント国民は運命を委ねるように

ラクスを妄信しています。

しかし、ラクスはその強さ故に

他者と共感できない場面が多いのではないでしょうか。

 

例えば、先程のラクスの台詞をプラントの女性が聴いたら

ラクスに部分的には共感できても

“同じ”にはなれないでしょう。

「ラクス様のおっしゃることは分かります。

でも、それはラクス様がお強いから言えるのでしょう。

私は、子どもを諦めることは、どうしても出来ない。」

その様に、思うのではないでしょうか。

 

だから、デスティニープランはプラント国民に支持されたのではないでしょうか。

 

プラント国民は未来が閉ざされていく閉塞感と焦燥感に苦しみ、

何ものにも縛られない自由を差し出すかわりに

未来を得ようとしたのではないでしょうか。

 

その切実なプラント国民の想いに

ラクスは、哀しみは抱いても

共感はできないでしょう。

何故なら、

『わたくしの一番の幸せは、

キラと共にあることですわ。

それが、わたくしの全てなのです。』

そう、心から言いきれるからです。

 

ラクスはデスティニープランを武力で否定しました。

(対話するために奔走したカガリとは正反対の方法になったことは

ラクスにとって不本意だったでしょうが。)

しかし、武力でおさめられることは戦争だけであり

プラント国民の思想までを破壊し再生することは出来ません。

それは歴史が物語るとおりです。

そのため、筆者の物語の中では、

デスティニープランに縋ったプラント国民は

今度はラクスに縋っています。

 

ラクスの本当の戦いは、

プラントの最高権力者に就任してからだと

筆者は思います。

 

DUNDAM SEED DESTINYのスペシャルエディッションの最後に描かれた

ラクスとカガリがそれぞれ議場へ向かうシーン。

ラクスが歩いた道には

まるで彼女の全てを受け入れるように

理路整然と並んだ官僚(でしょうか?)が頭を下げていました。

一方、カガリが歩いた道は

様々な人々が入り混じり意見が飛び交いそうな雰囲気がありました。

一見、ラクスはカリスマ性と類まれな政治力により

政界に受け入れられたように、

カガリは政治的に未成熟ゆえにまとめきれていない、

そのように見えるかもしれません。

しかし、ひねくれ者の筆者には、

ラクスを迎える様子に、プラント国民の妄信を感じ、

大変皮肉に感じました。

一方カガリの方こそ、政界に受け入れられているように感じました。

何故なら、世界とは

沢山の人の手で

沢山の対話を重ねて

創りあげていくものだと思うからです。

その創り上げる行為こそ、政治であると思うからです。

 

たった一人の救世主が舞い降りて、

平和が実現するのならば、

人がすべきことは

唯一つ。

待つことだけになってしまう。

 

そんな筈は無い、絶対に。

 

 

以上のような、大変ひねくれた考えを持つ筆者は、

この物語の中でラクスに課題を科しています。

それでも強く生き抜く姿にこそ、

ラクスの魅力があるのだと思いますから。

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