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soranokizunaのカケラたちや筆者のひとりごとを さらさらと ゆらゆらと
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金曜日の夜だというのに一向に帰り支度を始めないシンに、
アスランはパソコン越しに声をかけた。

「急ぎのものが無ければ帰っていいぞ。」

フロアに残っているのはアスランとシンのみだったため
声は思いの外響いた。

「急ぎっちゃぁ、急ぎなんだけど…。」

歯切れの悪いシンの手は止まっている、
という事はーー

「すまない、俺の決裁待ちかっ。」

と、アスランが慌てて書類を探そうとした手はシンの声に遮られる。

「いや、待ってるのはアスラン、
あんた。」

「え…。」

シンの眼差しに決心にも似た熱量を感じて、アスランはパソコンの電源を落として手早く帰り支度をした。
アスランとて急務に追われて残業をしていた訳では無かった、
ただあの部屋へ帰りたくなかった。
壁一枚向こうにカガリの存在を感じ、その度に後悔が募りそうで。

シンは何か話があるのだろう、
今の仕事の事か、それとも1月の昇格試験の事か…
プライベートの事を相談されても自分にアドバイス出来る事なんて何も無いし…。
内容がどうであれ本人がリラックスできるようシンに店を任せた所ーー

「じゃ、ここで!」

と、シンが意気揚々とのれんをくぐったのは
意外にもお好み焼き屋だった。
早速シンはジャケット脱いでネクタイを外すと、ぐいっと袖を捲り上げた。




「せーの、おりゃ~っ!」

気合十分でひっくり返したお好み焼きは鉄板の上をずるっと滑り
“あちゃー。”とシンはヘラで形を整えていた。
この様子ではしばらく相談の雰囲気では無いなと、アスランがおっとりと考えていた間に
歪な形の明太もちチーズが皿にのった。

「熱っっ。でも、うみゃぁ~いっ!」

シンは猫舌なのだろう、なのに切り分けたお好み焼きを冷ます事はせず
一気に口に入れては飛び上がり、
でも美味しさが全身から伝わってきてアスランは目を細める。
何処かカガリに似ている、
きっとカガリもこんな風に食べるんじゃないか。
ふーふーとお好み焼きに息を吹きかければいいのに、
そんなの待っていられないと頬張ってーー
目の前のシンにカガリの姿が重なって、アスランの胸に重層的な痛みが過ぎる。
それは、例え過去であってもカガリと恋人となり得たシンへの嫉妬でもあり、
昨夜カガリの意思を無視して傷付けた罪悪感でもあった。

「アスランって、お好み焼きでさえキレイだよなぁ。」

不意打ちのようなシンの発言に、意を解せずアスランは箸を止める。

「食べる所作っての?カガリに似てるなって。
2人とも、ふとした所から育ちの良さが見えるっていうか。」

「いや、似ているのはシンの方だ。
2人が同じ空気を纏っているように見えるから。」

再会した会議室でも、
休憩室で肩を並べていた時もーー

するとシンは驚きに瞳を開いた後、フイと視線を逸らした。

「気が合うだけ、じゃダメなんだって。」

何かを含んだシンの言葉を
“ハイ、豚玉お待ち~!”とハツラツとした店員に阻まれ、
“今度はアスランの番っ!”とシンに手渡されたので
アスランは説明書きを見ながら鉄板にタネを落とした。
鉄板から湯気と共になんとも言えない音が上がって、胃袋に直接響くようだ。
と、アスランが豚玉に集中している時だった。

「俺、カガリと付き合う前から、
カガリには別に好きな奴がいるって気づいてたんだ。
でも、自信があったんだよなぁ、ソイツを超えてやるってさ。
でもーー。」

飲み干したビールジョッキをゴトリと置いた。

「ダメだった。
どう頑張ってもダメっ!ってのが分かったのは、
カガリがキスさせてくれなかったから。」

「ーーえ。」

2人の間に沈黙が落ちる。

「あ、それ、そろそろひっくり返さないとっ!」

シンの声に条件反射して、アスランは豚玉をひっくり返した。
満月のような生地の上にこんがりと焼き色のついた豚バラ、
まるで雑誌から切り出したような出来栄えに

「くっそ~!
仕事も出来てお好み焼きも上手いって、
アンタ何者なんだよっ!」

と、シンはよく分からない事を言いながら
勢いのままにバシバシとソースとマヨネーズ、鰹節に青のりをトッピングして
2人の皿に豚玉が並んだ。

アスランは初めて焼いた豚玉を咀嚼しながらも
シンの言葉が全身を満たして味が分からなかった。

ーー“キスさせてもらえなかった”って…。

自ら導き出した解に、アスランの思考は冷え切っていく。
カガリは忘れられない人がいると言っていた、
その人以外のキスは受け入れられないのではないか、
今もーー。

アスランは血の気の失せた頭を抱えたくなった。
カガリの意思も大切にしてきた想いも無視して、
感情のままにキスをした、
それも一度では無い。
改めて己の罪の重さと深さを自覚して、アスランの視線が落ちた。

ーーどうすればいい。

あの日の事を蒸し返して謝る事がカガリにとって最善なのだろうか、
それともカガリの記憶に無い以上、もう無かった事にして黙っておくべきか、
いずれにせよ、次の出勤日の朝、どんな顔でカガリと会えばいいーー

「で、元カレの立場からお願いです。」

突然畏まったシンにつられるようにアスランは箸を置いた。
唇の端にソースを付けたシンはすっと頭を下げた、まるで騎士が礼をするように。

「カガリの悲しい恋を終わらせてやってください。」

「な、何を言ってーー」

カガリは“忘れられない人”以外受け入れられないのだと、
そう言ったのはシンだ。

ーーなのにどうして。

「もう時間が無いんだ。
カガリがスカンジナビアへ帰るからじゃない。
もうこれ以上、1分秒1秒だって悲しませたくない。」

顔を上げたシンの真紅の瞳に射抜かれる。
どんな弱音も言い訳も遮断する、強い眼差しにアスランは何も言えなくなる。

「だけど俺には、カガリの悲しみを終わりに出来なかったから。
学生の頃も、今も。
俺には出来ない。」

滲み出る苦味に、シンがどれ程カガリの事を想っていたのか、
何も出来なかった事を悔やんできたのかが分かる。
どんなに想っても、力を尽くしても、カガリの悲しみに手は届かない。

アスランは共鳴した胸の奥からため息を漏らした。

「俺だって同じだ。
カガリの悲しみを終わらせる事なんてーー。」

「出来る。
アスランなら、出来る。」

アスランの言葉を遮ってシンは言い切った。
根拠の見えない自信にアスランは困惑する。

「いや、俺にそんな…。
そもそも俺はカガリから殆ど何も聞いていない、
話したく無い…みたいだし。」

シンには涙も弱さも見せるのに、
フレイやミリアリアには以前から相談していたのに、

ーー俺には何も…。

「いつも側にいて笑ってくれるのに、自分の悲しみは見せない。
昔からそうだった。
俺とカガリの関係は。」

ーー悲しみから救ってくれたのは君なのに。
俺は君の悲しみに気付かずに、今もずっと何も出来ない。

「だから諦めんのかよ。
カガリが悲しんでるのを知りながら見て見ぬ振りして、
何処かの誰かがカガリを幸せにしてくれるのを、ずーっと待つのかよっ。」

「そんな事は言ってないーー」

「やってる事は同じだろっ。」

シンの言葉に撃たれる。
その通りだった。
でも、

「だからと言って、カガリが望んでもいないのに、
俺が何をしたって迷惑だろ。」

「そうだな。」

あっさりと肯定するシンにアスランは眉根を寄せる。
さっきから彼の言っている事は、“カガリを守りたい”という1本の軸がある以外は
支離滅裂なように思えてならない。

“イカ天お待ち~っ!”と、ハツラツとした店員にシンは生中2つを頼む。
タネの入ったボールをさりげなくアスラン側に寄せた事から、作れと言われているようで
アスランは豚玉の要領でタネを鉄板に落とした。

「でもさぁ、カガリがこれから何を望むかなんてわからない。
変わるかもしれないし、
変えられるかもしれない。
だから、大事なのはーー」

シンは劔の切っ尖を突き付けるように、アスランにヘラを向けた。

「アンタがどうしたいか、だ。」

ーーそんなの決まっている。
カガリを幸せにしたい。
他の誰でもない、俺が…。

だけどシンの言う通り、カガリの望みを変える事なんて現実的に可能なのだろうか。

ーーそんな、世界を変えるようなこと、俺には…。

その瞬間、過去のカガリの声が胸に響いた。

『大丈夫、アスランを1人にはしない、私もキラも手伝うから!
でもな、これはアスランがいなくちゃ出来ないんだ。』

あれは高校2年生の春、生徒会長に立候補する事に思い悩んでいた時、
背中を押してくれたのはカガリだった。
あの時は、カガリとキラの支えがあって生徒会長の責務を全うできて、
ニコルを亡くした時は、カガリが無条件の優しさを差し出してくれて…。
いつだって、カガリが俺の世界を変えてくれた。
だから今度は、

ーー俺が、君の世界を…。

「大丈夫っ!
元カレが言うんだから間違いないっ!」

何故か背後からルナの声がして、
振り返れば、半個室として立てられた仕切りの横からルナとメイリンが顔を出していて

「アスランさんっ、そろそろひっくり返さないとっ!」

メイリン声にハッとなったアスランは手早くイカ天をひっくり返した。
満月のように丸くふっくらとした焼き上がりに、

「くそ~っ!
やっぱりアスラン、焼くのうめぇっ!」

と、シンが悔しがり
ルナとメイリンがテーブルに雪崩れ込んできて。
同僚に自分の胸の内が何処まで筒抜けだったのか気恥ずかしくなったが
それ以上に彼等の気持ちが嬉しかった。
背中を蹴飛ばすような、エールをもらった気がした。






帰路に着いた足取は決して軽いものではなかったけれど、確かなものだった。
冬の星座に手を伸ばす。
白い息に霞む星ーー。

『もう時間が無いんだ。』

シンの言葉が胸を過ぎる。

『カガリがスカンジナビアへ帰るからじゃない。
もうこれ以上、1分秒1秒だって悲しませたくない。』

その通りだ。

もうこれ以上、カガリが悲しみの雫を落とさないように。
君の世界を変えて――

――俺に出来ること、
君が望むこと。

それが重なる奇跡を、
自分は起こせるのだろうか。




ーーーー

シンがちょっとカッコいいですよね!
時間が無いのは、カガリがスカンジナビアへ帰ってしまうからじゃない、
もうこれ以上、1分1秒だって悲しませたくない…。

アスラン、ホントそれよ!!

さぁ、次回から2人は駆け出していきます。
どうか見守っていただければ幸いです。

拍手[14回]

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高鳴る鼓動、

近づく距離ーー。




雫の音 ー shizuku no ne ー 19

拍手[8回]






「カガリ。
俺はずっとーー。」

アスランの言葉は携帯の着信音によって遮られる。
熱に浮かされたままだったカガリは我に返ると瞬間的に左手を引き

「電話、出た方がいいんじゃないか。
ほら、またイベントの事だと大変だし。」

最もらしい事を言って、さりげなく距離を取った。
するとアスランは何かを振り切るようなため息を落として緩慢な動作で携帯を取り出して、
ディスプレイを見るなり慌てた様子で通話を開始した。
その様子から何かあったのだと察し、席を外そうとしたカガリの手をアスランが掴んだ。
逃がさない、そう言っているようだった。

「はい。
何かあったんですか、母上。」

ーーご実家から電話?!
こんな遅い時間に。

嫌な予感がして、カガリはアスラン見つめる。
どうやら電話口のお母様が一方的に話をしているようで、アスランは相槌を打つばかりで、
程なくして電話が終わった。
何と声をかけるべきか、言葉を探したカガリに向けられたのは
カガリの大好きな笑顔だった。
穏やかな、アスランの笑顔ーー

「ラクスが帰ってくるんだ、オーブに。
やっと、帰ってくるんだ。」



近づいた、
そう思っていたのは私だけだったのかもしれない。
















カガリは家に着くとベッドに沈み込んだ。

あれから、アスランとどんな会話をして帰ってきたのか覚えていない。

ーーラクスが、帰ってくる。

文化祭の1日だけでカガリはラクスが大好きになった。
だから、彼女がオーブに戻ってくる事は素直に嬉しくて、
音楽家になる夢を果たして帰ってくる、そんな彼女が眩しくて。
でも、ラクスが帰ってきたら

ーーこの恋を終わらせなきゃ。

視界に入ったブルーのリボンが涙で歪んだ。
遠くで勝手に想い続けるのは自由かもしれない、
だけどこれからは、この想いを断ち切らなきゃいけない。

ラクスと友達になりたい、
アスランとも関係を繋げていきたい、
2人が望めばあの日の文化祭のようにみんなで楽しい時間を過ごしたいーー

ーーだから、終わりにしよう。

カガリは左の薬指に結ばれたリボンを外し、胸を刺す痛みに涙が溢れた。
あまりに身勝手な涙にカガリは小さく笑った。
勝手に恋して、
勝手に舞い上がって、
勝手に傷ついて、
勝手に想い続けて…。

アスランからもらった“ベアー”のぬいぐるみ、
そこには2つのブルーのリボンが並んだ。
幸せになれるおまじないーー

ーーこの想いを終わりにすれば、
私はやっと誰かを幸せに出来るのかな。
1番大好きな人を、
幸せに出来るのかな。

















月曜日。
恋をやめると決めてから初めて見るアスランの顔。
“いつも通り”を出来るかどうか、不安と言うより恐かった。
けれど今日から始まるイベントによる分単位の業務に救われて、カガリは自分を保つ事が出来ていた。
“大丈夫。”そう呟いて、カガリはバッグに視線をずらす。
いつも学生カバンに忍ばせていた化粧ポーチ、
どんなに目元が腫れても隠し通せる魔法。
でもこのポーチの出番は無いかもしれないと、デスクの1番下の引き出しに仕舞って
カガリは力づくで前を向いた。

金曜日にアスランとカガリが残業した甲斐もあり
スムーズなスタートを迎えられ一安心した頃には日が大きく傾いていた。

「カガリ、明日の午後は空けておいてくれないか。
外回りへ行くから、付き添いで来て欲しい。」

外回りの準備をアスランに問うても、“カガリは何も用意しなくていいから。”と返されて、
頭に疑問符を浮かべたまま火曜日の午後を迎えた。

「なぁ、アスラン、今日は何処へ行くんだ。
それに目的も、私の役割も分からないぞ。」

大きなストライドで前を行くアスランに付いて駅の改札を通り抜け電車に飛び乗る。
するとアスランはいた
ずらっ子の様な顔をして笑った。

「外回りっていうのは嘘。」

「はぁぁ?」

アスランがこんな嘘をついて会社を抜け出すなんて、

「お前、キャラ変わりすぎっ!」

するとアスランは止まらない笑いにくしゃりと前髪潰した。
そう言えば、今朝からアスランのテンションは何処かおかしかった、
いつも深い海の底のように落ち着いた空気を纏っているのに、
今日は何処か春風のように軽くふわふわしたような。

「これから空港へ向かう。
ラクスを迎えに行くんだ。」

カガリは一瞬の戸惑いに固まりかけた心を力づくで動かした、
反動で感じた痛みを飛び越える、前向くと決めたから。

「ラクスの帰国は来週だって言ってなかったか?」

「それが早まった、って分かったのが昨日。
どうやら強行スケジュールを組んでまでオーブへ帰りたかったらしい。」

そう言って笑うアスランは春そのもののようで、
この笑顔に既視感を覚える。
記憶を繰ればラクスの笑顔に重なった。
2人の重ねた時の長さをこんな所でも思い知り、
また1つ心が軋む音がした。

「そっか、良かったな帰国が早まって。
みんな喜ぶな。」

そうだ、これはみんなが喜ぶ事なんだ。
ラクスをずっ待っていたんだ、
アスランも、
家族も、友人も、みんな。

「あぁ。でも、お陰で予定が狂ってバタバタで。
ラクスの家族がどうしても迎えに行けないらしくて代わりに俺が。
カガリも一緒なら、きっとラクスは喜ぶと思って。」

ーー2人の再会に、私は邪魔なんじゃないか?

アスランが何を考えているのか分からない、
けれど、

──アスランって昔からそういう所、あるからな。

冷静なのに向こう見ずだったり、
優秀なのにどこか抜けてたり、
優しすぎるのに自分に鈍感で。
そんなアスランがずっと片思いをしてきたラクスにやっと会えるんだ。
カガリは隣に立つアスランを見上げて、ふっと笑みが漏れた。
いつもと違う顔を見せる今のアスランをとても愛おしく思えて、カガリはまた前を向く。
何度もラクスとの再会を思い描いて、
何が起きても傷つかない予防線を幾重にも張って、
“大丈夫。”と呟いて。








流石は世界の歌姫である。
アスランとカガリは一般の到着ロビーではなくVIP専用のラウンジだった。
滑走路を臨む一面の窓から柔らかな西日がさしていた。
見上げた空は抜けるような青、そこにハチミツ色の柔らかさを感じる。

──すてきだな。

全てがこの日を祝福している、
そう感じて瞳を閉じた時だった。
磨り硝子の扉が開く。

豊かな桜色の髪が揺れる。
舞い降りた天使のように
白く細い手が彼を求めて、
彼は彼女を引き寄せ抱きしめた。
時を埋めるように抱きしめ合う2人に、
言葉なんていらない。

1番そばで見ていたカガリに
それが1番伝わってくる。
痛いほど強く、
2人の想いが伝わってくる。
素直に共鳴した心、
知らずカガリは涙を落としていた。

「おかえり、ラクス。」

「ただいま戻りました。」

そう言って同じ顔で笑う2人に涙は無く、
春のうららかな空のようなあたたかさで満たされていた。
と、カガリの存在に気付いたラスクは
子どものようにはしゃいでカガリの手を取った。

「まぁ!カガリさんではありませんか!!」

「久しぶりだな、ラクス。」

言葉は涙に阻まれ上手く言えなくて、
カガリは空いた手でゴシゴシと涙をふいた。

「あらあら、あらあら。」

そう言って歌うように笑うラクスは天使のようで

「ごめんな、ちょっと胸がいっぱいになっちゃって。」

とカガリは照れ笑いを浮かべた。
電車の中で何度も何度も描いた再会のシーン、
決して結ばれない自分の恋へのかなしみに覆われるのだと思っていたけれど、
それは想像を遙かに越えて清らかで、
心からの喜びに満ちたものだった。
この空のように──




だから──




突然の涙の予感。
“あの涙”の予感。

──いけないっ。

突然迫り上がる抱えきれない感情を
力ずくで押さえ込む、
今、あともう少しだけ…。

「アスランはラクスを送ってくんだろ?
私は急に本社に呼ばれちゃったから、もう行くな。」

嘘は嫌いだ。
だけど、今はこの嘘を許したい。
今は2人を、
祝福されたこの日を、喜びを、
守りたい。
今、この2人の前で、
身勝手な涙を落としたくは無い。

「ラスク、また会おうな。」

手を振ってラウンジを出て、
涙が床に落ちるよりも先に駆けだした。
間に合って良かった、
こんな顔を2人には見せられない。

──早く、早く。
この恋をやめなくちゃ。

胸が詰まって息が出来ない、
苦しくて首を振った。
鼓動が胸を打つ度に深まる痛み、
涙で歪んだ視界ーー

雫の音が聞こえた。
















とにかく空港から離れて、
誰もいない場所を探してーー

ーーどうしよう、どうしようっ。

今は仕事を抜けてきた身なのだから、早く戻らなきゃと気持ちが急く。
だけどカガリの意思に反して涙は止まらなくて、
ハンカチで口元を抑えなければ嗚咽を耐えられない。

ーーどうしよう、どうしようっ。

前を向くと決めたんだ。
この恋をやめると決めたんだ。
あの清らかな喜びを見たら、
こんな自分勝手な恋も涙も全部消してしまいたい。

ーーどうしてたっけ…、私。

高校生の頃、些細な事で涙が止まらなくなったけれど、
その時はどうやって涙を止めて“日常”に帰って行けたのだろう。

ーーあ…。

あの時は、キラやミリィとフレイがそばにいてくれたんだ。
でも今はーー
駅に直結した商業施設のトイレの天井を見上げた。
今は1人、
もう高校生の弱くて何も知らない私じゃない。

カガリは涙を拭いて会社へ向かった。

ーー前を向くって、決めたんだ。













「ふわぁあぁ〜。」

シンの大きな欠伸に

「ちょっと、口元くらい押さえなさいよ。
一応仕事中なんだからっ。」

ルナがツッコミを入れた。

「うーん、なんかあの2人がいないと気が抜けちゃってさ。
やる事はあるんだけど、やる気出ないんだよなぁ。」

「そうね。
特にカガリがいないと場の雰囲気が変わるわよね。」

「そうそう、カガリがいるとパァっと明るくなるっつーか。」

「そうそう!
だからあと1ヶ月しか無いなんて、さみしいわね。」

と、シンの携帯がメッセージの受信を知らせる。

「ルナ、俺資料室行ってくるわ。
カガリが戻ってきたみたいなんだけど、力仕事頼まれちゃって。」

そう言ってフラリと席を立った。

《お疲れ様。
外回りから戻って、今資料室で整理してる。
ちょっと力仕事を手伝ってほしいから、シン1人で来てくれないか。
あと、私の机の1番下の引き出しにあるグリーンのポーチも持ってきてくれ。
忙しい所ごめんな、よろしく!》

シンはカガリのメッセージに妙な引っかかり覚えた。
先ず、文面からアスランの存在が見えない事から、カガリが1人で外回りから戻ったと思われるが、
アスランと一緒に出たのにどうして別行動になっているのか。
さらに、外回りが終わったなら一度デスクに戻って資料室で作業する筈なのに、
カガリは資料室へ直行している。
緊急で運ばなければならない物があったのか、それもカガリ1人で。
そんな事をあのアスランがさせるとは思えない。
さらに、力仕事の手伝いにこの化粧ポーチが必要とは考えられない。

ーーどういう事だ…?

シンは足早に地下にある資料室へ向かった。









「おーい、カガリ。来てやったぞー。」

静まり返った資料室にシンの声が響く。
と、書棚の奥の方からそっと顔を出したカガリを見てシンは驚きに駆け寄り、
ぐいっとカガリの腕を掴んだ。

「何があったんだよ。」

シンの乱暴とも取れる手のひらから懐かしいぬくもりを感じて、カガリの涙を引き寄せた。
唇が震えて上手くしゃべれない、でもシンを心配させたくなくてカガリは笑ってみせた。
が、その痛々しさにシンの顔は歪む。

「大丈夫なのは分かったから、取り敢えず落ち着け。
待っててやるから。」

シンのぶっきらぼうな優しさが痛みに痛みを重ねた心に染み込んで、
次に流れた涙はあたたかかった。

カガリはゴシゴシと涙を拭いて、ポツリポツリと話し出した。

「仕事の事じゃ無いんだ。
ちょっと…、何て言えばいいのか…、
自分の気持ちを、上手く説明出来ないや。」

そう言ってカガリは小さく笑った。
悲しくて苦しくて痛くて、
身勝手な自分が許せなくて、
前を向くと決めたのに泣いてばかりの自分が情けなくて悔しくて…
全部が自分の本当の気持ちだから。

すると、シンが言いづらそうに切り出した。

「アスランの…こと?」

カガリは驚いた瞳を晒した。

「カガリが言ってたずっと忘れられない人って、
アスランの事、なんだろ。」

何も言わないカガリ。
だけど、止まらない涙が全てを物語っていて
シンはゆっくりと息を吐き出して天井を仰いだ。
そに瞳にスカンジナビアの透明な空を映して。





スカンジナビアに留学中、シンが押しに押して押し倒してカガリと恋人になった。
あの時、誰よりもカガリに近い場所にいた、心も含めて。
それは今でも自信を持って言えるし、きっとカガリもそう思ってくれていると信じている。
カガリは何も言わなかったけれど、心の真ん中にいる男の存在をシンは気付いていた。
“ソイツを絶対に超えてやる!”と、最初はそう思っていたけれど、
カガリを好きになればなる程、
もっと近づきたいと思う程、
どれだけ距離を無くしても、
カガリにとっての1番にはなれない事実にぶち当たった。

だから別れはシンから切り出した。
優しすぎるカガリに別れを言わせて傷つかせたくなかった。
あの時ーー

『なぁ、カガリ。
もしかして他に好きな男…いるんじゃないか?』

そう問うた時、カガリは驚いた瞳を晒して静かに涙を落とした。
それが全てを物語っていた。

『ずっと…忘れられない人がいるんだ。
でも、もう叶わない恋なんだ…。』

言葉にするだけで痛みを覚える、それはどれ程の想いだろう。
こんなにカガリに想われている男がいる、
それなら自分は敵う筈は無い。

『そっか。』

ハッキリと言われてシンは清々しい気分だったが、
カガリは罪悪感で白くなった顔を伏せた。

『ごめん。
でも、信じてほしいんだ、シンの気持ちは嬉しかったし、応えたいって心から思って!』

シンはカガリの髪を子犬にするようにわちゃわちゃとまぜた。

『大丈夫、カガリの気持ちは分かってるし、
ちゃんと伝わってたから。
でもいいなぁ、ソイツ。』

『え?』

『だって、カガリにこんなに想われてて。』

するとカガリは悲しい程綺麗に笑った。

『そんな筈無いだろう。
だってその人にはもう、心に決めた人がいるんだからーー』








過去を映した瞳に今のカガリが重なって、懐かしさにシンは目を細めた。

「忘れられないまま、でいいのかよ。」

カガリの髪を一撫ですれば、カガリの大きな瞳からまた涙が落ちた。

「でも…。」

「いつか言ってたよな、相手には心に決めた人がいるって、
だから叶わない恋なんだって。
でも、それって学生時代の話だろ?
だったらーー」

「昔の話じゃないんだ。」

シンの言葉を遮って、カガリはゴシゴシと子供のように涙を拭いた。
もう何度涙を消そうと擦ったのだろう、目元の朱が痛々しい。

「ここだけの話…な。
ずっとアスランには好きな人がいて、
その人と、きっともうすぐ幸せになれるんだ。」

そう言い切るカガリにシンは素朴な疑問を投げかける。

「なんで他人の未来がカガリに分かるんだよ。」

カガリは綺麗な微笑みを浮かべた、
シンの記憶に重なる、悲しい程綺麗な。
でもシンが見たいのは、そんな笑顔じゃない。
シンが好きになったのは、そんな笑顔じゃない。

「さっきまで私も一緒にいたんだ、
アスランと、その子と。
2人とも、とても幸せそうだった…。」

「だからって、自分の未来まで決め付けんなよっ。」

シンは苛立った感情そのままにカガリにぶつける。

「ずっと好きなんだろっ。
泣いても苦しくても、ずっと好きでい続けたんだろ。
頑張ったよ、カガリは。
だから最後まで頑張って、気持ち伝えたっていい筈だ。」

ストレートなシンの言葉に胸を突かれる。
その裏にある優しさに涙が滲む。

「そんな自分勝手な事出来ないよ。
自分のために自分の気持ちを押し付けて、
アスランだけじゃない、相手にだって嫌な思いをさせちゃうだけだっ。」

「はぁぁっ?」

行き過ぎた優しさは自分自身を傷つける、
シンから見れば今のカガリがまさにそうだ。
カガリを大切に思うからこそシンの苛立ちは募っていく。
シンは再びカガリの腕を掴んで詰め寄った。

「あんたバカじゃねぇのっ?
ずっと大事にしてきた想いなら、絶対に嫌な気持ちになんてならない。
誰も傷付かないんだよ。」

シンの瞳に射貫かれる。
恐れるな、進めと背中を押してくれている。
全力で。
前を向く事はただ恋を諦めるだけじゃないんだと。

「シン…、ありがと。」

──こんな真っ直ぐな優しさが、シンのいい所だよな…。

そう思った時、シンにあたためられた心がとけるように涙が止まらなくなった。
それに焦ったシンが

「あぁ、もうっ!泣くなってっ!」

と照れ隠しにぶっきらぼうな声を上げた時だった。

「シン、何をしている。」

地を這うようなアスランの声がして、
シンは“やべぇ。”と口内で呟いた。

ーー何でこんな所にアスランがいるんだよっ。

あまりのタイミングの悪さに、シンはルナに口止めしておけばよかったと後悔する。
この状況を見れば誰だってシンがカガリを泣かしたように勘違いするだろう。
アスランがカガリの腕を掴んでいた手を振り払い、2人の間に立った。
眼光は剣のように鋭く冷たい。

「なんでカガリを泣かせたんだ。」

──いや、カガリを泣かせてるのはあんただからなっ。

とツッコミを入れる訳にもいかず、誤解を解くのが先決だと考え
面倒くさそうにシンは応えた。

「誤解すんな。
俺はカガリの悩みを聞いてただけで。
まぁ、少し熱が入っちゃったけど。」

焦ったカガリが言葉を加える。

「シンの言っている事は本当だぞ。
私の事、励ましてくれたんだ。」

するとアスランは困惑した表情でカガリを見て、
彼女が頷いた事を確認すると、

「そうだったのか、すまなかった。」

と小さく謝った。
アスランの眼差しは未だ心配の色に染まっていて、それは友人や同僚の度を越しているように
シンには思えた。

ーー誤解は解けた、けど、納得はしてないって感じか。

カガリの瞳は未だ濡れていて、目元は痛々しい程に朱に染まっている。
“どうすんだ、これ。”と、シンが着地点を探していると、ふと悪戯心が芽生える。
こんだけカガリを泣かせたんだ、少しぐらい痛い目にあわせてもいいだろう。
それに──

──カガリはあんな事言ってたけど、
俺から見ればアスランの好きな人って…。

「まぁ、俺はスカンジナビアにいた時、1番カガリのそばにいたからな。
カガリの事はちゃんとわかってる。
だからいつでも話、聞くからな。」

そう言ってシンはカガリの髪を優しく撫でる。
こうすると、カガリはネコのように目を細めて身をゆだねてくれる事を知っていて、わざとそうしたのだ。
カガリは“ありがとう。”と言って案の定身を委ねてきて、
シンはアスラン反応見た。
すると翡翠の瞳には嫉妬が色濃く見て取れて、想像以上の反応にシンは驚く。
アスランは普段から感情を表に出すタイプでは無い、仕事中は特に顕著で涼やかな顔で感情の波が無い。
だが今の彼はどうだろう、
誰が見ても、アスランが本当は誰を想っているのか分かるだろう。
それがこの短期間で生まれた感情で無いことも。

ーーあ〜、やってらんねぇっっ。

シンはガシガシと頭をかいた。
そしてため息を落とすと、カガリの肩に手を置いて距離を取った。

「アスランも来た事だし、俺はデスクに戻るから。
じゃ、後はよろしく、ってことで。」

そう言って2人を残してシンは資料室を後にした。









乱雑にデスクに着くと、“ちょっと、何なのよっ。”とルナに小言を言われ
シンはデスクに突っ伏した。

「あんた大丈夫?」

冷ややかな視線を送ってくる恋人に、シンはデスクの上で顎をゴロゴロしながら問う。

「両思いの男と女がいたとして、どうやったらくっつくと思う?」

するとルナは呆れた声を出した。

「そんなの放っときゃいいのよ、
誰も何もしなくても勝手に上手くいくでしょ。」

“だよなぁ〜、ふつー。”と言ってシンは再び突っ伏した。
あまりに挙動不審で意味不明なシンにルナは眉を寄せる。

「ねぇ、何かあったの?」

ルナの心配は空振りに終わり、シンは再びルナに問う。

「じゃぁさ、10年くらいず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと両思いのまますれ違ってたとしたら、
どうやったらくっつ?」

するとルナは笑いながら答えた。

「すれ違ったまま10年間も好きでい続けるなんて、今時そんな純愛はドラマでもやらない設定よ。」

ーーその奇跡的な天然記念物の2人がいるんだけどな、すぐそばに。

シンは主のいないアスランとカガリのデスクに視線を向けたまま問う。

「だから、もし!
そんな2人が実際にいたらさ、どうしたらいいんだろうな。」

バカバカしい問いをやけに真面目にしつこく聞いてくるシンに、ルナは先程までの笑いを引っ込めた。

「そうね…。
もしそんな2人が現実にいたら、結ばれるのはかなり難しいんじゃないかしら。
だって、ずっと…、青春の全てを片思いの世界で生きてきたのよ。
世界を変えるくらい頑張らなきゃ、きっと難しい。」

ーー世界を変えるくらい…か。

ルナの言う事はシンにストンと落ちた。
いくら両思いであっても、すれば違った時間が長ければ長い程の困難がある、
それをあの2人は証明しているようだ。

ーーどうしたらいいんだろうな、ホントに。



ーーーーーーーー

近づいたと思ったのに急降下です。
本当にアスランはタイミングが悪い人ですよね…。

今回はシンが大活躍でした。
結構、かっこよかったですよね。
カガリさんは、アスランの好きな人はラクスだと勘違いをしているので、
自分の恋は身勝手な気持ちだと自分を責めていますが、
シンはカガリさんの恋を頑張ったと言ってくれるんですよね。
ぐっとくるなぁ。
『ずっと大事にしてきた想いなら、絶対に嫌な気持ちになんてならない。
誰も傷付かないんだよ。』
って、その通りだと思います。

さぁ、資料室にアスランと2人きりにさせられてしまったカガリさん。
次回はどうなってしまうのでしょう…?



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雫の音  shizuku no ne ー 18



拍手[10回]



当時、カガリのクラスはアリスのティーパーティーと題して喫茶店を出店することになった。
そこで、客層のターゲットをカップルに絞りフレイがこんなアイディアを出した。

『ブルーのリボンの付いたスプーンで、女の子が男の子に食べさせてあげるの!あーんってね。
で、男の子が女の子の左手の薬指にブルーのリボンを結んだら…
2人は幸せになれるっておまじない!』

フレイのアイディアは大当たりをしクラスの喫茶店は行列が出来る程で、
校内には左手にブルーのリボンを付けた女子が目立った。

カガリがアスランへの差し入れとして持ってきたオムライスにも、
ブルーのリボンが付いたスプーンが添えられていた。

アリスに扮してブルーのワンピースに白いフリルのエプロンを身につけたカガリが
“ほら、ちゃんと食べろ。”と差し出したオムライス、
でもアスランは受け取ってくれなくて、

『食べさせてくれるんだろう、それ。
確か、そういう趣旨の出し物だと聞いている。』

と真顔で言うので、この鈍感すぎる朴念仁にカガリは溜息を落とした。

『それはカップルをターゲットにした仕掛けのようなもので、
普通は、彼女が彼氏に食べさせてあげるんだよ。
まぁ、お客さんからリクエストがあったら、店員が食べさせてあげるって事になってるけど…。』

“ふーん。”と言ったアスランは何処か不機嫌そうで、
真面目なアスランには浮ついたイベントのように見えたのかもしれない。
というカガリの予想に反して、アスランは思わぬ事を言い出した。

『じゃぁ、食べさせてくれるんだろう、店員さん。』

『はぁぁぁぁぁ?!』

大声を上げるカガリに、アスランは何処か楽しんでいるように流し目をよこす。

『それにほら、俺は手が塞がってるし。』

アスランがお客様である以上、リクエストされれば応じるのがルールだし、
手が塞がる程忙しいから昼食を抜いていたのも事実で。
“うぅ〜。”と唸る他何も言えなくなってしまったカガリは、仕方なくスプーンを手に取った。
アスランの口に運ぶ、手が震える。

『ど…うだ?』

自分で調理したものでも無いけれど気になって、思わずカガリはアスランに顔を寄せれば、
嬉しそうにアスランが笑ってくれてほっとして、
凝り固まった体と心が解けていくようだった。
それをきっかけに、まるで高校2年生の頃のように会話が弾んで、
小ぶりのオムライスはあっという間になくなってしまった。

『ご馳走さま。』

そう言ってアスランはカガリの手からスプーンを抜き取り

ーーえ…?

左手の薬指にリボンを付けた。
アスランと触れ合った指先から全身に熱が広がって、カガリはイスの上で子猫のように跳ねた。

『あっ、アスラン!
お、お前、これっ。』

赤く染まった頬隠す事なんて出来ないまま、カガリはアスランに詰め寄った。
するとアスランは、

『こうすると、幸せになれるんだろ。』

と真面目に応えるから、カガリはまたしても何も言えなくなった。
アスランの言っている事は間違ってはいない、
これは“幸せにになれるおまじない”、という設定なのだから。
でも、それは恋人同士や想いを寄せる人の話であって──

──アスランがこのリボンをあげなきゃいけないのは、私じゃなくてラクスだろ…。

痛みと共に喉元までせり上がった言葉を
何故か嬉しそうに笑うアスランを前に言う訳にいかず、
カガリは飲み込んだ。
恨み言の一つを加えて。

『これじゃ、お客さんに頼まれても食べさせてあげられないじゃないか。』

するとアスランはスンとした顔をして作業に戻った。

『カガリが他の男に食べさせてやる必要は無い。』

カガリは目が点になり絶句し、
アスランの思考回路が理解できず溜息を落とした。
けれど──
左手の薬指に結ばれたロイヤルブルーの色彩が眩しくて目を細める。
これを外したい、なんて思えなかった。








パンフレットの訂正作業が終わってクラスに戻ると、
店内にラスクの姿を見つけて、カガリは咄嗟にリボンを隠した。
アスランの勘違いとは言え、このリボンを付ける資格があるのはラスクの方で、
彼に振られた自分じゃない。

──外ずさなきゃっ。

と理解はしているのに指先は拒むように震え出す。
と、カガリに着いてきたアスランがキラとラスクに声をかけた。
かわいらしく手を振った、ラスクの左手には既にブルーのリボンが結ばれていた。

ーーあれ?どうして…。

隣には寄り添うようにキラがいて、
ラクスにリボンを結んだのは

ーーキラ?

状況的にキラなのだろうと思うより、
キラとラクスが同じ空気を纏っていて2人でいることが自然なような気さえしてしまう。
互いを結ぶ見えない糸、その存在をはっきりと感じた気がして
カガリは瞬きを繰り返す。

淹れなおした3人分の紅茶と手作りクッキーを出すと、
“カガリもおいで”とアスランから誘われた。
戸惑いに竦みそうになった手をキラが包み込むような笑顔で捕まえてくれたから、
店番を抜けて4人でテーブルを囲むことにした。
カガリはラクスと同じテーブルに着くだけで感情の波を閉じ込めるように身を硬くしたが、
澄んだ泉のように清らかな彼女のことをすぐに大好きになってしまった。

弾む会話、その時小さな咳がラクスからこぼれた。
するとアスランはラクスに気遣うような視線を向けながら、キラとカガリに告げた。

『ラクスはそろそろ戻る時間だから。
今日はありがとう。』

『私はまだ大丈夫ですわっ。』

意外な程強い声にカガリは驚くが、

『ラクスは元々体が強くないだろ。
それに元気になったとは言え、まだ体調が戻ってきたばかりなんだ。』

慣れた手つきでラクスを支える、その仕草一つで2人が重ねてきた時間の長さを感じた。
ラクスの体調はあの事故のことも影響しているのだろう、
キラとカガリは視線を合わせると立ち上がってラクスを囲んだ。

『今日は来てくれてありがとな。
ラクスに会えて嬉しかったぞ。』

『今度は僕が会いに行くから。』

するとラクスは真珠のような涙を浮かべて小さく頷いた。
最後に4人で写真を撮って、ラクスはアスランに守られるように学校を後にした。
並んだ2人の背中が遠ざかる。

あの事故で心に傷を負ったのはアスランだけではない、
実の姉であるラクスが抱えるかなしみはどれ程のものだろうーー
そう思えば、鈴蘭のように笑うラクスは奇跡のようで、カガリはふとした瞬間に泣きそうになった。

あの時アスランに、ラクスのそばにいたいと言われた。
未だに胸の痛みは消えないし、どうしようもない想いはこの瞬間も溢れて溢れているけれど、
だけどカガリは1つの真実を見たと思った。

『ラクスのそばに、アスランがいて良かった。
だって、今日ラクスに会えて良かったって、
こんなに思ってる。』

そう言ったカガリの手を、キラがぎゅっと握った。
そのぬくもりに甘えるように肩にコツンと頭を預けると、

『やっぱり僕たちって双子だね。
僕も同じ事を思っていたから。』

そう言ったキラの声は少し涙にぬれていた気がした。














「終わったー!!」

カガリはガッツポーズのような伸びをした。
単純作業を集中して終えた時の独特の達成感に満たされる。

「ありがとう、カガリ。
本当に助かったよ。」

そう言って笑うアスランは生徒会室から抜け出たようで、

「この後飲みに行かないか。
今日のお礼に奢るよ。」

ネクタイを緩める仕草で今に引き戻されて、
カガリは自分だけが時空を行き来しているように感じるのは
心地良い疲労感で頭がぼんやりしているせいだろうか。

案の定、ゴハン命のカガリがお腹が空いたと言い、笑い出したアスラン。
でもこの時間ではいつかアスランと訪れた洋食屋はラストオーダーを過ぎているだろうし、
カガリの望むような食事ができる場所は24時間営業の定食屋かファミレスくらいしか空いていない。
今から帰ってコンビニ弁当は避けたいし、自炊する体力も残っていない。
どうしたものか、と会社の通用口を出て思案したカガリとは反対にアスランの足に迷いは無かった。

「アスラン何処かあてはあるのか?」

「バルドフェルドさんのお店へ行こう。
あそこは日中は1階でカフェをしているから、何か出してくれる筈だ。」

そのアスランの読みの通り、バルドフェルドさんは快く迎えてくれた。
しかも、

「すみません、クローズしたカフェまで開けていただいて。」

閉店したカフェのカウンターにだけ明かりが灯って、アスランとカガリは席についた。
その内側で手早く調理をするバルドフェルドは上機嫌だ。

「いいのだよ、アスラン君がやっと姫を連れてカフェに来てくれたんだからね。
約束から2ヶ月、僕はずっと待っていたんだよ。」

軽く圧をかけてくるバルドフェルドにアスランは肩をすくめた。
一方のカガリは首を傾げて、

「約束って何だ?
もしかして、私が酔って忘れてすっぽかしちゃったのかっ?」

勝手に結論付けて青くなるカガリにアスランは笑って応えた。

「俺とバルドフェルドさんとの約束だから。
それに、今回も約束は守れているとは言えないし、な。」

するとバルドフェルドはわざとらしく“おやおやぁ?”と声を上げた。

「今夜はデート、じゃないのかい?」

“そんな関係じゃないって!”と、出かかった言葉をカガリは飲み込んだ。
台風で延期にはなったけれど、アスランとサイクリングへ行く約束はした。
もしあの約束がフレイの言う通りデートになるならーー

カガリはそっと隣のアスランを見上げる。

ーーデートをする関係、って事になるのかな…?

急に意識してしまいカガリは頬を染めた、が、

「今日は急遽残業になってしまって。
カガリが助けてくれたんです。」

アスランは事実を言っただけなのに、
カガリは冷や水を浴びたような気持ちになって苦笑した。
勝手に舞い上がっている自分が恥ずかしい、
仮に2人で出かける事の定義がデートだとしても、

ーーアスランが好きなのはラクスなんだ。

それを無かった事にして、勝手に浮かれて…。

ーーバカだなぁ。

カガリは携帯の写真フォルダを繰る。
高校3年生の文化祭、最後に撮った4人の写真。
ラクスの隣にはキラが寄り添い、カガリの隣にはアスランが立っていた。
花のような笑顔を浮かべるラクスの左手にはキラが結んだリボンが写っていて、

ーーあの時、本当にこれで良かったのかな…。

カガリはアスランが結んだリボンを付けていた。

ーーアスランは本当はこのリボンをラクスに…。

そう思った時、アスランの声で現実に引き戻された。

「懐かしいな、文化祭。」

“えっ、あぁ…、うん。そうだな。”と、返事をするのがやっとだった。
すると、カウンター越しにバルドフェルドが首を伸ばした。

「わぁ、姫は一段とかわいいねぇ。
これ、いつの写真だい?」

「高校3年生の時に。
私のクラスは喫茶店を出店して、それでアリスの格好を。」

どう見てもかわいらしいのはラクスの方だと思ったが、カガリははにかみながら応えた。

「残業中にも、その時食べたオムライスの話をしていたんです。」

と、アスランが言うとバルドフェルドは口笛を吹いた。

「それは素晴らしい!
きょうの特別メニューはこちらでございます。」

アスランとカガリの前に置かれたのは

「オムライス…っ!」

こんな偶然あるのだろうか、
カガリは手を叩いて喜んだ。
と、アスランがバルドフェルドに注文を付けた。

「もしあれば、ブルーのリボンをカガリに。
文化祭の時、スプーンにブルーのリボンを付けて出していたんです。」

するとバルドフェルドはカフェのバックヤードへ姿を消すと、程なく1本のスプーンをカガリに差し出した。
スプーンの柄の先には、ロイヤルブルーの小さなリボンが可愛らしく結われている。

「さぁ、姫。
ステキなディナータイムを。
それからアスラン君、私はバーへ戻るから、
何かあったら連絡してくれたまえ。」

その言葉を残してバルドフェルドは姿を消して。
キャンドルの火が灯ったようなカウンターで2人きり。
鼓動が加速度を増していく。
胸の音もその奥にある想いも全部アスランに聞こえてしまいそうで、この沈黙がこわい。
こわい、のに耳を澄ましていたくなるような、
この時を大事にしたくなるような、
揺れ動く感情にカガリの瞳が潤む。

「食べさせてくれるんだろう、それ。」

記憶の中のアスランが今に重なっていく。
想いが過去に吸い寄せられたのか、過去から続く想いが今に手を伸ばしたのか、
カガリはリボンの付いたスプーンをアスランの口元に運ぶ。
あの日と同じ、震えた手に嬉しそうなあなたの顔ーー

「もう一回。」

甘やかな声に誘われてスプーンを運ぶ。
アスランがカガリのカウンターのイスに手を掛けた、
さっきよりも近付いた距離、
あと何センチでキスが出来るだろうーー

ーーわわっ、私は何を考えてるんだっ!

カガリはカシャンとスプーンを置くと、

「こ、これじゃぁ私が食べられないだろっ。」

と、最もらしい言葉を並べてカガリはあむっとオムライス口に入れた。
優しくとろけるたまごにほんのりとスパイシーなチキンライスが絶品で、
はにゃりと目を細めた。
カガリは美味しいゴハンは世界平和だと本気で思う、
だって、どんな時だって幸せな気分になるのだから。
そしてまたしてもバルドフェルドに感謝していた、
このオムライスが無ければきっと切り替えられ無い、

ーー自分を自分で保てない…。

抑えきれない想いを今この時だけでも胸の中に閉じ込めておかなければ、
きっと伝わってしまう。

ーーそれだけは絶対に駄目なんだ、
もう2度とあんな事…。

『本当に私たち、付き合っちゃおうか。』

ーーあんな事…。

絶対にダメだと心に固く誓った時、
アスランが食事を終えたカガリからスプーンを抜き取った。
そして、

ーーえ?

左手の薬指にリボンを結んだ。

「こうすると、幸せになれるんだろ。」

これは過去ーー?
違う、
アスランの眼差しも、
包み込むような手も、
伝わる熱も、
あの日と違う。

アスランの想いが見えた気がして、
あまりに都合の良すぎる自分の思考回路をカガリは力づくで抑え込む。
絶対にダメだって、決めたんだ。

「アスラン、勘違いしてるぞ。
そのリボンを結んで幸せになるのは、恋人とか、想いを寄せる人であって…。」

「分かってる、
全部知っていた。」

眼差しの熱に浮かされそう。
何がこわいのか分からないまま、カガリは身を引こうとして、
眼差しに、
繋がれたら手に、
拒まれる。
逃げられない。

「カガリ。
俺はずっとーー。」



ーーーーーーーー

高校生のアスランくんの言動にツッコミたくなりますね〜。
カガリの左手にリボン結んじゃうし、『他の男に食べさせる必要は無い。』とか
無意識の独占欲って…(^◇^;)

さて、ラクスの左手にも青いリボンが結ばれていましたが…
一体何があったのでしょうか?

そして現在に時間軸が戻って、アスランがいよいよ…。
次回もパロらしい展開です!


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あと2ヶ月ーー

カウントダウンとは無関係に、
ずれたテンポに乱されて

進まない距離感にジリジリと焦りばかりが降り積もる。



雫の音 ー shizuku no ne ー 17


拍手[13回]




ケーキのお礼をしたい、
とアスランは言ってくれたけど、
キラの食べかけでお礼をしてもらう訳にはいかなくて。
だけど誠実すぎるアスランはお礼をさせて欲しいと引かず、
でもカガリはお礼を受け取るには気が引けて。
結局、2人の間を取ってドライブを兼ねてサイクリングへ行くことになった。
それはすぐに参謀達にばれて、

『どうして間を取ってサイクリングになるのよ。』

と、フレイには“もっと色気のあるイベントに持って行きなさいよ!”と、小言を言われたが、

『カガリらしくていいじゃない。
それに、カガリの話を聞く限り、この2人に色気を求めても緊張しちゃいそうだし。』

ミリィのフォローにカガリはコクコクと頷く。
アスランのバースデーパーティーで見た女性達のようにモーションをかけることなんて出来る気がしない。
だったら背伸びをしない方がいいと思ったのだ。

『でも、サイクリングって…、中学生のデートじゃないんだから。』

フレイの一言に、カガリはカフェのソファーの上でピンっと飛び上がる。

『で、デートっ!!』

今更真っ赤になるカガリに、フレイは美しいネイルの施された指先を米神に当ててため息をついた。

『2人でお出掛けするんだからデートでしょ!
今時、小学生だってデートしてるんだから、社会人のあんたがそんなに緊張してどうするの?』

急にオロオロしだしたカガリをミリィは“大丈夫よ。”となだめる。

『カガリはアスラン君とどんな風に過ごしたいと思ったの?
それをそのまま実行するだけでいいのよ。
きっと楽しいデートになるから。』

紅葉した湖畔をサイクリングしたら気持ちいいだろうな、とか、
お弁当を作って行ったら喜んでくれるかな、とか、
アスランも楽しんでくれたらいいな、とかーー

緊張が半分とふわふわとした気持ちが半分。
通勤途中で、職場で、
アスランと目が合うだけで週末が楽しみになって
いつもよりカレンダーを見る回数が増えていた。
けれどーー。

《次のニュースです。10年に1度の大型台風が接近しており…》

テレビから流れてきたニュース。

「台風じゃ仕方が無いな。
延期にしよう、サイクリングは逃げないし!」

と、カガリは自分から延期を伝えた。
アスランに断られると少し泣いてしまいそうだと思った、
それくらい初めてのデートに気持ちが膨れ上がっていた。

しかし、ずれた歯車が元に戻るには時間がかかるようだ。

メイリンが企画してくれた温泉旅行。
シンとルナとメイリンと、アスランと。
金曜日の仕事終わりに出発して2泊3日で

『遊び倒して、食い倒れて、飲みまくるぞー!』

と、とりわけシンは意気込んでいたし、
カガリも短期間の出向中に同僚と旅行できるなんて、と楽しみにしていた。
が、

《次のニュースです。10年に一度の大型の台風がオーブを横断し…》

ーー10年に1度じゃなかったのかよっ!

結局、金曜日の午後は公共交通機関の乱れと帰宅時間帯の危険性から会社は休みになり、
そんな状況で旅行へ行ける筈無く、

『延期…ですかね。』

と、メイリンがさみしそうに笑った。








歯車が噛み合わないまま1ヶ月が過ぎようとしていた。
この日もカガリはモルゲンレーテ本社から急な呼び出しがあり、
控えていた打ち合わせを欠席して本社へ戻った。
そのまま就業時間を過ぎ、結局自分のデスクに戻れた頃にはオフィスに誰の姿も無く
1部を除いて消灯されていた。
シンとルナ、アスランの姿は無く、その事にほっとしながらカガリは自席周辺のライトを付けた。

ーーここの所、色々タイミング悪いな…。

デスクチェアに身を委ねて溜息を落とした時だった、
アスランのデスクパソコンがセーブモードになっていることに気づいた。

ーーアスラン、残業…なのかな?

機械工学部出身という事もあり機械を大切に扱うアスランがパソコンの電源を切り忘れるなんてあり得ない、
だから帰宅や接待の可能性は消える。
オフィスは消灯されていた事から、アスランは別の場所で残業している可能性が高い。
急に会議が入ったのであれば、シンやルナも一緒に残業する筈だが、彼等のパソコンは消えていた。

ーー1人で…か。

カガリはオフィスを出て静まり返った廊下を歩く。
金曜の夜はノー残業デーのため残っている社員は少なく、殆どの部署が眠ったように消灯されていた。
なんだか夜の学校に忍び込んだ気分になり、カガリはクスリと笑みを零した。
週明けの大規模なイベントに向けて忙しい1週間だった、
その疲れもあってかテンションがハイになってしまったのかもしれない。

と、奥の会議室から光が漏れているのを見つけた。
耳を澄ませると紙を繰るような音しか聞こえないため、会議をしている可能性は無さそうだ。
カガリはそーっと扉を開けると、驚きに声を上げた。

「アスランっ!」

すると、膨大な資料を前に作業をしていたアスランが振り返った。

「カガリ、何をやっているんだ!」

と、アスランが立ち上がった拍子にパサリと紙が床を滑る乾いた音がした。

「アスランこそ、こんな時間まで何やってるんだよ。
それ、月曜の資料だろ?
まさか…っ!」

と、カガリはアスランの手から資料を取り、作業していたデスクを見た。
そう考えても、資料の差し替えをしているとしか思えない。
アスランはカガリに隠すことは出来ないと判断し、資料に視線向けたまま肩を竦めた。

「先方のデータに誤りがあったんだ。
気づいて確認が取れた頃には7時を過ぎていて…。」

「だからって、1人で差し替え作業をしてたのか?
資料は全部で何部あると思ってるんだよ!」

「シンとルナは帰宅した後だったし、
そもそも今日はノー残業デーだからな。」

アスランは困ったように微笑んでいた。
この表情に既視感を覚える、
生徒会室でこんな顔を沢山見てきたからーー。

カガリはアスランの横の椅子に腰掛けると、差し替え作業を始めた。

「何やってるんだ。
カガリも今日は帰ってーー。」

アスランがカガリの肩に手を置いた。
チーフという立場上、ノー残業デーに残業させる訳にはいかないとでも思っているのだろうが、
この量をアスラン1人で処理するには終電までかかってしまうかもしれない。

「アスランを残して帰れる訳無いだろっ。
1人で抱え込むな、
少しは私にも手伝わせろよ。」

と、カガリは差し替え資料を力づくで奪うと、黙々と作業を始めた。

「ごめん。
でも、ありがとう。」

そう言ったアスランの背景に、あの頃の生徒会室が見えた気がした。

紙の擦れる乾いた音が秒針のように時を刻んで行く。
もともと手先の器用なアスランと爆発的な集中力を持つカガリが揃ったからか、
想定を超える早さで作業が進んで行く。
と、アスランが小さく笑って、カガリはつられるように視線を向けた。

「なんだか懐かしいなと思って。
カガリと並んで、生徒会室でこんな事があったな、って。」

同じ事を同じ時に思う、ありふれた奇跡に触れた気がして
カガリは優しい気持ちになった。
目を閉じれば、柔らかな光が差す生徒会室が瞼に浮かぶようだ。
制服姿の2人、
雑然とした作業台で動く手、
積み上がった資料ーー
アスラン長い指も、睫毛の影も、真剣な横顔もそのままだった。

「1人で仕事を抱え込むなって言ってるのに、
アスランはいつも聞かなくて。」

「それで良くカガリに叱られたな。」

と言ってアスランが笑うから、カガリは懐かしさに目を細めた。

「アスランはすぐに自分を後回しにするから、放っておけないんだよ。」

「そうやって、いつもカガリが見てくれていたんだよな。」

アスランの言葉にカガリはドキリとする。

ーーどういう意味…?

当時カガリが想いを寄せていた事をアスランは知っている。
その事を今更持ち出されてもどうしていいのか分からない。
まるで高校生に戻ったように鼓動がうるさく跳ねだして、カガリは作業に集中するふりをして下向いた。

「こんな時、いつもカガリが来てくれた。
手伝ってくれとか、助けてほしいとか、何も言ってないのに気付いてくれた。
あれは全部、偶然じゃなかったんだ。」

ずっとアスランを見てきた、
自分の想いに気付くよりも前からずっと、
その事を指摘されたような気がして、熱が瞳に立ち上る。
本当は今でもずっとアスランを見てる、
想ってるーー
ここにいる事がそれを証明しているようで、カガリは

ーーどうしよう、どうしよう…。

と目を泳がせた時だった。

「高校3年生の文化祭の時も、カガリが手伝ってくれたっけ。」

淀み無く動いていたカガリの手が止まり、一気に熱を奪われたような感覚に陥った。
アスランに告白してしまった後に迎えた文化祭は楽しいだけの思い出では無い、
むしろ、溢れそうになる感情を抑える痛みに耐え続ける時間がつらくて、苦しかった。
しかしアスランにとってはカガリとは違う思い出なのだろう、

ーーラクスと一緒に、楽しそうに笑っていたから…。

カガリが切なく視線を滑らせたのには気付かず、アスランは続ける。

「文化祭のパンフレットに誤りがあって、でも後輩達は別の仕事で手が塞がっていて。
俺は生徒会室で1人で作業していたのに、いつの間にかカガリがこんな風に来てくれた。」

あれは2日間開催される文化祭の1日目、パンフレットに誤りが見つかった。
内容が金銭に関わることだったので緊急で訂正文の短冊を挟み、
残部のパンフレットには訂正した金額を印刷したシールを貼ることに決まったが、
後輩達は当日の文化祭運営の仕事が分単位で詰まっていたため、
クラスの出し物が無いアスランが代わりに引き受けたのだった。

「あの時も、カガリに叱られたなぁ。
1人で抱え込むな、ちゃんとご飯を食べろって。」

当時を瞳に映しながらアスランは笑い声を上げた。

「わっ、笑い事じゃないだろっ。
お昼ごはんも食べないで作業を続けてっ。」

アスランの姿が見えないのに気付いたのは、
キラがラクスをエスコートしながら文化祭を回っている所を見たからだ。
アスランがラクスを案内する筈だったのに何故か隣にはキラがいて、
聞けば、急用が出来たアスランに代わって案内していると言っていた。
カガリは嫌な予感がして生徒会室に駆けて行けば、1人黙々と作業するアスランがいた。
アスランと2人っきりになるのは告白したあの時を最後に避けて来た、
初めての失恋で出来たばかりの傷を抱いたまま、アスランと向き合うなんて無理だったから。
だけどあの時、
1人で生徒会室にいたアスランを放って置くことなんて出来なかった。

「あの時、生徒会室でカガリが食べさせてくれたオムライス、美味しかったな。」

案の定、アスランは昼食を忘れて作業に没頭していて、
カガリは自分のクラスの喫茶店で出しているオムライスを差し入れに持ってきたのだ。
ケチャップでハートが描かれたオムライス、
ロイヤルブルーのリボンが結ばれたスプーンーー
当時を思い出して、カガリは頬を染めた。



ーーーーーーーーー

少し長くなったので、ここで一回切りますね。

ケーキのお礼…というのはもちろんアスランの口実で、
きっとアスランは必死に食い下がった事でしょう。
一方のカガリさんは、お礼なんて気がひけると大真面目に断り続け…
一歩も引かない2人が目に浮かびますね(^◇^;)
でも、結果的にサイクリングデートに落ち着くっていうのも2人らしいと思います。
いつかリベンジできるといいのですが。

さて、第4話で出てきました高校3年生の文化祭の写真。
そこには、アスラン、カガリ、ラクス、キラの4人が写っていました。
カガリさんの笑顔はひまわりのようにキラキラしたものではなく、
どこか切ないものでした。
アスランに失恋したばかりなのに、アスランが文化祭にラクスを連れてきたものだから
カガリさんは苦しい思いをしたのでしょう。

一方のアスランは第11話で、その写真を見て
『本当の気持ちはそこにあったのに』と後悔を滲ませます。
その理由が次回のお話で明らかになります!

文化祭では一体何があったのでしょう?
次回もお楽しみいただければ幸いです。



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アスランと一緒に入った洋食屋はキラのお気に入りという事もあって、カガリ好みにピタリとハマった。



雫の音 ーshizuku no me ー 5


拍手[13回]






路地裏にあるレンガ造りの小さな店には、
店主の趣味であるアンティークの調度品が飾られていて落ち着いた雰囲気だった。
席もメニューの品数も多くは無いが、

「通いまくって、全メニュー制覇したい!」

と、カガリが叫ぶ程だった。
アスランが笑いながら“キラも同じことを言っていた。”と言えば、
カガリは目を輝かせて“今度はキラも誘って来ような!絶対だぞ!”と食べ終わる前から約束をし、
益々アスランの笑みは深まる。
カガリはオムライスに添えられたメンチカツを頬張る、その拍子に香ばしいサクっとした音が聞こえた。
正面のアスランは、相変わらず美しい所作でロールキャベツを口に運んでいて、
カガリは懐かしさが溢れるように笑った。
不思議そうな顔を上げたアスランに、カガリは応えた。

「やっぱり、ロールキャベツなんだなって思って。
アスランの数少ない好物だもんな。」

「覚えてたのか。」

と、無防備に驚いた顔をするから、
カガリはそっと瞳を伏せた。

「忘れる訳、無いだろ。」

ーーアスランのことは全部、覚えてる。

美味しい料理は自然と心を開かせるから、
このままアスランへの思いまで露わになってしまいそうで、
カガリは何気なさを装って水を口に含んだ。

ーー忘れられる訳、無いんだ。







「良かった、アスランが元気そうで。」

カガリは食後のデザート盛り合わせと共に紅茶を、アスランがコーヒーを飲んでいる時だった。
まったりとした空気の中で、カガリは続けた。

「ミーティングの時、ちょっと気になったから。」

するとアスランは、“カガリは変わらないな。”と呟いて、

「俺は大丈夫だよ。体調が悪かった訳でも無いし。」

カガリの心には、あの時のアスランらしからぬ言動や寂しげな笑顔が引っかかっていたが、
“そっか。”といって、ミックスベリーソースのかかったフォンダンショコラと一緒に飲み込んだ。
注文を受けててから焼き上げるフォンダンショコラは絶品で、添えられた自家製ジェラートも然りで、
カガリは小さな拳をブンブンと振って全身で味わっていた。
そんなカガリを見て、アスランは懐かしさに目を細める。

「カガリと一緒に食べる食事は、いつも特別においしかったな。」

食事に興味が無いアスランは、生徒会の仕事や勉強に時間を割いて食事を忘れることが少なからずあった。
その度にゴハンとスイーツ命の双子に叱られて。
その頃はそれで良かったけれどーー
あの事故があってから、アスランは殆ど食事をとることが出来なくなって、
精神的にも肉体的にも限界を超えて…。
そんな時、アスランを支えたのはキラとカガリだったのだ。
そんな過去を知るカガリだからこそ、

「今はちゃんと食事してるんだろうな!」

厳しい視線を向けられ、アスランは苦笑する。

「一応、気をつけてはいるし、
自炊することもある。」

「一応ってのは気になるな。
この3ヶ月間は私が見張ってるからな、ちゃんと食べるんだぞ!」

と、カガリがビシっと指させば、アスランは“観念しました”と肩を竦めた。




店を出ようとすると、気づかぬ間にアスランが支払いを終えていて
そのスマートさにアスランが大人なんだという当たり前の事実に改めて驚いて。
“奢られっぱなしは嫌だ!”とカガリが言えば、“じゃぁ、また今度はカガリに。”と返されて、
それが社交辞令じゃ無いといいなと、カガリは願うように頷いて、

「その時は、アスランのリクエストに全部答えてやるぞ!」

と言えば、思わぬ答えがかえってきた。

「じゃぁ、カガリの手料理が食べたい。
カガリの作ってくれたお弁当も、誕生日の時のロールキャベツもケーキも、
みんな美味しかった。」

エメラルドの瞳は懐かしさに揺らめいて、カガリは目が離せなくなる。

「覚えていて、くれたのか…?」

「忘れる訳無いだろ。
大切な思い出だ。」

アスランがくれた大好きな笑顔を、
こんな幸せな気持ちで受け取る日が来るなんてーー

「私もっ。
大切な思い出だ。」

その時見せたカガリの笑顔は、一点の曇りも無い
キラキラとした陽の光のようだった。






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なんて平和なデートでしょう。
まるで高校生に戻ったような楽しい時間を過ごした2人なのでした。

ひとつの思い出を互いに大事に思っていたなんて、
カガリさんは嬉しくてキラキラスマイル出しちゃいました。
おいおい、アスラン、このスマイル見て何とも思わないの?
と、キラ兄様なら突っ込むことでしょう(^_^;)

平和なデートでしたが、
これで終わる筈無いですよね〜。
次回は新たな登場人物を交えてもう少し踏み込みますよ!



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