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soranokizunaのカケラたちや筆者のひとりごとを さらさらと ゆらゆらと
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こんにちは。

またしても、1週間ぶりの更新となりました。

やっと、カガリとアスランの真実が重なり

ひとつになりました。

 

そしてまたしても、

以下は筆者のヒトリゴト
(と書いて何と読むかはご存知のことと思いますが)です。

 

 

 

『・・・アスランと、

共に、生きていきたい・・・。』

 

これはカガリがアスランに告げた最後の真実です。

この真実をカガリはアスランの耳元で告げます。

アスランにだけ届くように。

何故なら、この真実とは、

今この世界で真実とすることを出来ないと

カガリが知っていたからです。

 

8-10 瞼の裏、視線の先」のキラの台詞で

『きっとアスランとカガリの方が難しいんだ。』とありましたが、

キラの真実と比して

カガリの真実とは大変複雑で重層的です。

キラの真実はラクスを愛し、ラクスと共に生きることです。

極論かもしれませんが、キラは真実としてラクスだけを選ぶことができます。

(でも、キラが“他の人はどうでもいい”と思っている訳ではありません!!)

 

しかし、カガリの場合は、キラのようにシンプルにはいかないでしょう。

アスランを愛していること、共に生きることは真実です。

しかし、

それを真実として、今の世界で実現することが現実的に出来ないだけではなく、

“アスランだけを真実として選ぶこと”を、カガリ自身がしないのではないかと

筆者は考えます。

カガリには、「みんなと共に生きたい」という、 

大切な人たちと共に抱いた真実も、

真実として選びたいからです。

 

ラクスを愛し、ラクスと共に生きたいというキラの真実は

ラクスの受容によって成り立ちますが、

カガリの真実の場合、アスランだけが受容しても成り立ちません。

(この論理に従えば、大切な人たちみんなとの相互受容を要しますので。)

しかし、アスランの受容が無かったら、

カガリは “カガリとしてあること”=“生きていくこと” が、

大変困難となるでしょう。

顔を上げて前を向いて

夢を叶える為に走り続けることが、

大変難しくなるでしょう。

何故なら、

カガリはアスランを愛しているからです。

 

だから、「8-10 瞼の裏、視線の先」の中で

キラとラクスは次のような台詞を言う訳です。

『きっとアスランとカガリの方が難しいんだ。』

『ですが、アスランでなくてはなりません。』

キラとラクスは、そのことを分かっていたんですね。

 

 

さて、次回以降しばらく

アスランとカガリがいちゃいちゃしています。

お時間がございましたら、ご覧いただければ幸いです。

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