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soranokizunaのカケラたちや筆者のひとりごとを さらさらと ゆらゆらと
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おはようございます、筆者です。

いつも筆者の拙い物語をお読みくださり、心から感謝申し上げます。
また、Happy Birthday to ME!!企画という、
自虐的(?)企画にお付き合いくださりありがとうございました。

今回の更新は12日(日曜日)夜を予定しておりますので、
今しばらくお待ちください。

さて、Read more...以下でメッセージを残してくださった方へのお返事ですが・・・・、
その方がとても興味深い問題提起をしてくださいました。
もしよろしければ、一緒に考えてみませんか?
(蒼い彗星様、筆者の身勝手なふるまいをお許しください!)

「力」が争いを呼び、しかし「力」がなければ護れない世界で
どの様に「力」を使っていくのか。

拍手[13回]





蒼い彗星 さま

いつもお読みくださり、またメッセージを残してくださり
ありがとうございます。

また、お祝いの言葉もありがとうございました。
誕生日当日も10時まで残業だった筆者の心に、
じーんとしみこみました。

さて、蒼い彗星さまもSEEDの世界に関して様々なお考えをお持ちのようですね。

SEEDの世界の難しさのひとつに「力」があると、筆者も思います。
蒼い彗星さまのメッセージにあった通り、
「力」が争いを呼び、でも「力」が無くては護れない。
きっとそれは真実で、そのジレンマと闘い続けなければいけないのかな、と。

だからこそ、筆者は「力」を使う目的(=動機)を大事に描きたいと考えます。
ある行動がよいこと(哲学用語だと善とか、道徳的とか)であるかどうかは、
行動の結果がもたらすのではなく、
目的(=動機)で決するのだと言ったのは哲学者のカントですが、
その点に関しては筆者も同意見です。

GUNDAM SEED DESTINYでは、結果が重視されてしまいました。
たとえばカガリは政治的失策をしたとして責められた一方で、
キラとラクスの行動は正しかったと描かれたような気がします。
しかし、護りたいものを護ろうとしたこと(=行動の目的)に、
キラとカガリの違いは無いと筆者は考えます。
違ったのはそれを達成するための術かと。

結果を重視するのであれば、
その「力」が正義にかなったものだったのか、善であったのかは、
結果によって左右されます。
つまり、今生きる人ではなく未来の誰かしか「力」の善や正義を判断できなくなる。
筆者はそんなことはないと信じたいです。

では仮に、「力」の善や正義が目的によって決するとすれば、
その「目的」が正しいかどうかは誰が判断するのでしょうか?
カントは、人に備わる道徳性が正しい目的を設定すると言っていますが、
その点は筆者は微妙なところだなぁ・・・と。

もしカントの言う通りなのであれば、
「力」を正しく使うために必要なことは、
一人でじっくり考えることになってしまいます。
しかし、自分にとっての正しさとみんなにとっての正しさが重ならない苦しさを
一番良く知っているのは、カガリでありアスランであり、
そして日常生活を生きる私たちです。

だからこそ、お話をすることが大事なんだと筆者は考えます。
(その点で、筆者はアリストテレスが好きなんですよね。)
正しさは自分だけで定めるものではなくて、
沢山の人と一緒に考え、共につくっていくものだと思います。

確かにDESTINYのキラとラクスは自分で判断して、行動して、正しかったかもしれない。
「自分に備わった道徳性で正しい行動ができる。」という
カントの考え方を体現しているか、と。
誰もがそうできたら世界は平和になるかもしれません。

ですが筆者は、自分だけで考えた正しさよりも
誰かと一緒に考え、沢山の声を寄り合わせ、共につくった正しさの方に
人のあたたかみを感じます。
(あくまで筆者の好みの話ですが・・・)

ですから「力」の使われ方や目的についても、
沢山の人とお話しながら考えたいと思います。
物語を描きながら、皆様と一緒に考えていければ幸いです。
物語の中では、アスランやカガリ、キラやラクスなりの応えを
描きたいなぁと考えています。(できるか心配ですが)

まとまりもなく、大変長くなってしまいましたが
最後までお読みくださりありがとうございました。
では、次回更新の時にまたお会いしましょう。

xiaoxue
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蒼い彗星 さま

いつもお読みくださり、またメッセージを残してくださり
ありがとうございます。

また、お祝いの言葉もありがとうございました。
誕生日当日も10時まで残業だった筆者の心に、
じーんとしみこみました。

さて、蒼い彗星さまもSEEDの世界に関して様々なお考えをお持ちのようですね。

SEEDの世界の難しさのひとつに「力」があると、筆者も思います。
蒼い彗星さまのメッセージにあった通り、
「力」が争いを呼び、でも「力」が無くては護れない。
きっとそれは真実で、そのジレンマと闘い続けなければいけないのかな、と。

だからこそ、筆者は「力」を使う目的(=動機)を大事に描きたいと考えます。
ある行動がよいこと(哲学用語だと善とか、道徳的とか)であるかどうかは、
行動の結果がもたらすのではなく、
目的(=動機)で決するのだと言ったのは哲学者のカントですが、
その点に関しては筆者も同意見です。

GUNDAM SEED DESTINYでは、結果が重視されてしまいました。
たとえばカガリは政治的失策をしたとして責められた一方で、
キラとラクスの行動は正しかったと描かれたような気がします。
しかし、護りたいものを護ろうとしたこと(=行動の目的)に、
キラとカガリの違いは無いと筆者は考えます。
違ったのはそれを達成するための術かと。

結果を重視するのであれば、
その「力」が正義にかなったものだったのか、善であったのかは、
結果によって左右されます。
つまり、今生きる人ではなく未来の誰かしか「力」の善や正義を判断できなくなる。
筆者はそんなことはないと信じたいです。

では仮に、「力」の善や正義が目的によって決するとすれば、
その「目的」が正しいかどうかは誰が判断するのでしょうか?
カントは、人に備わる道徳性が正しい目的を設定すると言っていますが、
その点は筆者は微妙なところだなぁ・・・と。

もしカントの言う通りなのであれば、
「力」を正しく使うために必要なことは、
一人でじっくり考えることになってしまいます。
しかし、自分にとっての正しさとみんなにとっての正しさが重ならない苦しさを
一番良く知っているのは、カガリでありアスランであり、
そして日常生活を生きる私たちです。

だからこそ、お話をすることが大事なんだと筆者は考えます。
(その点で、筆者はアリストテレスが好きなんですよね。)
正しさは自分だけで定めるものではなくて、
沢山の人と一緒に考え、共につくっていくものだと思います。

確かにDESTINYのキラとラクスは自分で判断して、行動して、正しかったかもしれない。
「自分に備わった道徳性で正しい行動ができる。」という
カントの考え方を体現しているか、と。
誰もがそうできたら世界は平和になるかもしれません。

ですが筆者は、自分だけで考えた正しさよりも
誰かと一緒に考え、沢山の声を寄り合わせ、共につくった正しさの方に
人のあたたかみを感じます。
(あくまで筆者の好みの話ですが・・・)

ですから「力」の使われ方や目的についても、
沢山の人とお話しながら考えたいと思います。
物語を描きながら、皆様と一緒に考えていければ幸いです。
物語の中では、アスランやカガリ、キラやラクスなりの応えを
描きたいなぁと考えています。(できるか心配ですが)

まとまりもなく、大変長くなってしまいましたが
最後までお読みくださりありがとうございました。
では、次回更新の時にまたお会いしましょう。

xiaoxue
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