[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回に引き続き、アスランとカガリがいちゃいちゃしています。
この物語の中では、この場所はお互いにとって
胸の痛みを覚える場所でした。
しかし、これからは
きっと違って見えるのではないでしょうか。
お読みくださっている方の中には
お察しの方もいるかもしれませんが、
この先アスランとカガリは彼等らしい、
そして彼等にしか出来ない選択をします。
一度手を離してしまったアスランとカガリは
失う痛みと共に繋ぎ続ける痛みも知っています。
それでもなお、信じ続ける強さを
きっと2人は持っていると思います。
どうかこの先も見守ってくださればと思います。
こんにちは。
Chapter5-19~5-28をUPしました。
DANDUM SEED DESTINYではオーブの慰霊碑は焦土のまま終わりました。
その後、あの場所はどうなったのであろうと
想いを馳せた方は沢山いらっしゃるのではないでようか。
本編の中では、花を植え続けることが彼等の戦いと
比喩的な言葉があったと思います。
しかし、現実としてあの場に残ったのは、
オーブに全てを注ぐ覚悟を示したカガリと
明確な理由が語られぬままオーブに残ったアスランです。
(あと、アークエンジェルの皆様。)
あの未来を示すような言葉のとおり、
筆者はあの慰霊碑が花で満たされる日が
遠からず訪れるのではないかと考えました。
では、その花を誰が植えるのか。
言葉を変えれば、花を植え続ける主体とは誰かと考え、
物語の中の慰霊碑が生まれました。
花を植えるのは、カガリであり、アスランであり
そして国籍も人種も性別も年齢も、
人を別つあらゆる事由無く全ての人であってほしいと思いました。
願った、と言った方が適当です。
種類も色彩も香りも異なる花々は
それぞれに咲き誇りながら、
そしてひとつに解け合うことでしょう。
まるで、オーブのように。
今は亡きマユへ優しい想いを馳せています。
そんな場所になってほしいと、筆者は思いました。
カガリであれば、国として慰霊碑の整備を行うことができたでしょう。
復興のための補正予算から投資することに
反対する首長はいないでしょうし、
国民も喜んで支持をしたと容易に想像できます。
しかし、それは人の手によって行われるべきだと
筆者は考えます。
切欠が国であるか、人であるかは
大きな違いがあります。
国の場合、数多の人の願いを吸い上げ決断を下しますが
そこに恣意的に国の意図が込められてきたことは
歴史が物語っています。
そして、オーブはそこに戦火の原因があった訳で、
(単刀直入に言えば、セイラン。
さらに筆者の捏造で、あの場所はセイランによって利用されていた
という設定にいたしました。)
だからこそ、この場所は人の手によって創められ
人の手によって暖め続ける場所であってほしいと思いました。
さらに、人の手によって創り続けるからこそ
国籍や人種などの繊細で根深い問題も
おおらかに包み込むことができると考えました。
結局のところ切欠は、カガリでしたが
それでもカガリが公休の日に訪れるのは、
公務としてではなく、個人の意思である現れです。
こうしてカガリは花を植え続け、
遺族と出会い、想いに寄り添い、
共に死者に想いを馳せ、
そして共に平和を祈り続けています。
筆者はその行為全てを、
「燈し」と名づけました。
人々の心に、
決して絶えることのない希望の火を燈していく、
そんなカガリの姿が
筆者の目に浮かんだからです。
人が手を繋ぎ、少しずつ輪を広げていくように
緩やかに、確かに、花が増えていく。
花の数だけ、人々の心に希望が燈されていく。
オーブの慰霊碑が、そんな場所であってほしいと
筆者は思うのです。
「5-22 希望の光」で、カガリが子どもたちと共に空へ手を伸ばしたように、
カガリの言葉が実現し続けることを
筆者は祈っています。
『この地に、花を絶やさぬことを誓う。
花の香が、祈りと共に
あなたに届きますように。』
引き続いて、Chapter 5-11~5-18をUPいたしました。
ここで物語を動かしているのは、イザークとディアッカです。
この2人が登場すると血が騒ぎます。
私自身、この数話は大変楽しく執筆いたしました。
アスランとイザークとディアッカが独立自治区ソフィアについて
政治的な話をする一方で、
アスランをダシに(?)遊んでいます。
この空気は絶妙です。
アスランとイザークとディアッカは類まれな政治的センスを持っていると
筆者自身は解釈しております。
それこそ、未来のプラントを担うにふさわしい程の。
(それを彼らが進んで選ぶかはまた別の話ですが。)
プラントの最善の利益を見据えながら
政治的局面を批判的な視座で捉えることが出来る、
それは早熟という言葉には収まらない感覚だと思います。
そして、その感覚を彼らにもたらしたのは
哀しくも2度の戦争でした。
きっと、彼等が紅い軍服に初めて袖を通した頃、
彼らはこんな未来を描いていたのかもしれません。
プラントの未来のために力を尽くすのだと。
しかし、あの頃の未来である今、
彼らが立つ場所はそれぞれに異なっていました。
アスランはプラントを離れオーブに立ち、
そしてニコルはもうこの世にはいません。
それでも、変わらないものが確かに
彼等にはあるのだと思います。
彼等の抱く誇りの美しい強さに、
惹かれずにはいられません。
イザークとディアッカは
その誇りを真直ぐにプラントへ向けますが、
アスランは同じ誇りを胸にオーブに立ちます。
物語の中ではまだ触れられておりませんが、
アスランがオーブに残った理由についてのepisodeも用意しています。
筆者はどうしても、アスランがカガリを護るためだけに
オーブに残ったとは思えないのです。
(もちろん、カガリを護りたいという想いがあることは真実です。
しかし、それがオーブに残った唯一の理由ではないと思っています。)
そして、それを許すカガリでもないと思うのです。
アスランがカガリを護るためだけにオーブに残ろうとしたら、
カガリだったら殴ってでもアスランをプラントへ返すと思います。
アスランはカガリに何を伝えて、
オーブに残ったのでしょうか。
それとも、何も言わずに残り、
示し続けているのでしょうか。
これをお読みの方々それぞれに、アスランがオーブに残った理由について
お考えをお持ちのことと思います。
そのため、“そんな解釈もありかも”的な寛大なお心で
お読みくださればと思います。
こんにちは。
予告どおり、アスランとカガリがいちゃいちゃしています。
手を繋いで花を摘んだり、
繋いだ手を揺すって合図したり。
いくらいちゃいちゃしてても切なさが薫るのは、
それがアスランとカガリだからでしょう。
さて、以下は毎回恒例の筆者のヒトリゴトです。
ウズミはきっと、カガリに伝えたいことも
遺したいことも沢山あったのではないかと、
そうお考えの方は少なくないと思います。
そして、筆者もその一人です。
残されたカガリは、ウズミの声に耳を澄ませても
何も聴くことはできません。
きっとカガリも、もっと沢山
ウズミと話をしたかったことでしょう。
もうこの世にいないウズミの真実を知ることは出来ません。
たとえ、事実を知っても。
出来ることは、ウズミに想いを馳せることだけです。
ウズミの真実に一番近い位置にいるのはカガリです。
しかし、その真実にカガリを近づけたのは
アスランでした。
アスランも同様に、
亡くした父の声無き声に耳を傾け
真実に想いを馳せることがあるのでしょう。
だからこそ、アスランの言葉が特別な奥行きを持って
カガリに深く優しく響きます。
『きっと、ウズミ様は全てご存知だったんだ・・・。』
『殺すことも、出来たはずだ。』
『それでも、
カガリとキラを救って、
護って・・・。
カガリをお育てになった。』
『何故、ウズミ様がそうなさったのか、
カガリ、君が一番良く知っているだろう。』
ウズミの真実は、彼の亡き今、全てを明らかにすることは出来ません。
しかし、何故ウズミがキラとカガリを救い
カガリを育てたのか、
その理由については今後の物語に関係していきます。
(もちろん筆者の創作ですが。)
お読みくださる皆様それぞれに抱くウズミがあると思いますが、
“こんなのもアリかもなぁ”くらいの軽い気持ちで
お読みいただければと思います。
ようやくChapter 5の内、5-1~5-10までUPいたしました。
この5-1~5-10のepisodeに関して、今回はラクスについてコメントしたいと思います。
大きく分けると、
決して負に侵されない清らかさと、
戦争責任と、
政治的責任の3つの点についてです。
なお、最初にご了承いただきたいのですが、
以下に語る筆者の考えは、筆者の独断と偏見に満ちた個人的な妄想です。
そのため、万が一気分を害された場合は
大変申し訳ございませんが「寛大なお心でスルー」してくださいますよう
お願いいたします。
先ず、ラクスの清らかな強さについて。
普通、一番大切な人がChapter5のキラのような状態になったら、
心から笑顔でいることは出来ないと思います。
ラクスのように決して闇に屈すること無く
清らかな笑顔であり続けることは、
彼女の強さであると筆者は考えます。
また、「5-8 ラクスの告白」では、
ラクスは自らの戦争責任を告白しています。
「世界の平和を願い、
現実として行動し、
自らの力を全て、 注ぎ続けることができるカガリが、
羨ましかったのです。」
「わたくしは、
わたくしの姿で、
わたくしとして、
世界の平和のために現実的に働きかける、
ミーアさんが羨ましかったのです。」
筆者自身は、ラクスは人間臭い感情を持つキャラクターと捉えております。
心を構成する感情は、全て綺麗なままでは成り立たないと思います。
それはラクスであっても例外ではないとの考えがあります。
“羨ましい”という感情の言葉と共に、
ラクスには“沈黙の責任”を引き受けさせています。
戦争を治め、平和を切り開いたラクスに
戦争責任はないと言うロジックは、
正義と平和の根拠を勝利に置く点で
筆者は賛同できません。
何故ならば、そのロジックに従えば
デュランダル議長が勝利すればデスティニープランが是となるからです。
しかし、筆者の描くプラントはまさにそのロジックで
ラクスを妄信しています。
そこにラクスとキラの可視化され難い政治的ハードルがある、
そのような設定といたしました。
その点は、「5-3 孤独と孤立」の中でイザークやディアッカに語らせています。
『キラ・ヤマトとラクス・クラインは孤独ではない。
何故なら、2人は常に寄り添っているからな。
だが、2人は孤立しているだろう。
誰も、彼等と対等になろうとはしないからだ。』
プラントの国民は心からラクスとキラを愛し、
しかし同時に彼等をまるで神格化するように妄信する。
その精神構造にこそ戦争を引き起こす根本原因があり、
だから指導者がパトリックからデュランダルに代わり、
政策も平和構築の方法も変わったにも関わらず
戦争は繰り返された、
そのように仮定しました。
そしてそのコンテクストに従えば、こうも言えるのです。
例え、ラクスがプラントを治めても
プラントは再び戦争を起こす、と。
だからラクスの政治的責務とは
プラントの暴走が起きた時に抑える抑止力ではない、
それが筆者のスタンスです。
では、彼女の果たすべき政治的責任とは何か、
お察しの方もいらっしゃるかと思いますが、
今後もその点を丁寧に描けたらと思います。
但し、お読みになる方にご理解いただきたいのですが、
ラクスが議長に就き、プラントを導けば
世界に平和が訪れる、
そんなに世界平和は安易に実現するものではないのではないか、
筆者にはそのような考えがあります。
何故なら、
そう結論づけるなら
全知全能の人物の降臨を待つ他
私たちの生きる世界に平和が訪れないことを
意味すると思うからです。
だから、筆者のラクスは全知全能ではありませんし、
独立自治区ソフィアの独立に際しては政治的失策を犯しています。
しかし、
それでも強く迷わず生き抜くラクスの
“生きる美しさ”を描いていけたらと考えております。
と、筆者のヒトリゴト(と書いて、言い訳と読む)が長くなりました。
こんな滅茶苦茶で独りよがりな物語でございますが、
暇で暇でしょうがない時で構いませんので、
お読みいただければ幸いです。
最後までお読みくださりありがとうございました。


